あちこちへ迷惑をかけての入院だったから、この機会に日頃いい加減は執筆態度を反省し、併せて次の作品の構想を練ろう――いや、それよりもまず、女ひとりの人生後半をいかに生きるべきか、 じっくりと考えてみよう……。ところが、殊勝だったのは志だけで、現実にベッドの上で考えたのは、退院したらどこの何を食べようかということだった。
【向田邦子「イタリアの鳩」(夜中の薔薇/講談社)より引用】
退院したら食べにいきたいお店リストを、活き活きと綴った文章。
今回は、淡々と向田邦子の『退院したら行きたい店リスト』の店舗情報を掲載しようと思う。向田邦子が食べたいと書いたメニューも添えて。
「小川軒」のオードブルと薄焼きステーキ【代官山】
行きたい店リストの最初に登場するのは、”「小川軒」のオードブルと薄焼きステーキ。”
「小川軒」は今も健在。創業から100年以上続く老舗のレストランで現在は代官山にある(2020年時点)。
向田邦子が食べたいと書いた『薄焼きステーキ』とは、コースの一品『ミニッツステーキ』のことらしい。
調べてみると、このお店はランチもディナーもコースのみのようだ。
「天茂」の天どん【赤坂】
”赤坂「天茂」の天どん。”
エッセイには天どんと書かれているが、向田邦子はコースの最後に出るかき揚げ丼がお気に入りだったとか。
50年以上続く「天茂(てんしげ)」は先代の娘さんが跡を継ぎ、2代目としてお店に立っているという。
ランチは天どんとかき揚げ丼のみ。夜はコースのみ。コースの締めくくりにミニサイズのかき揚げ丼が選べる。
銀座「東興園」-閉店
”銀座「東興園」のチャーシュウメンと焼売。”
残念ながらこのお店は閉店してしまったようだ。しかし相当な人気店だったようで、検索すると在りし日の思い出を綴ったブログが数多くヒットする。
赤坂「楼外楼」-休業中
”「楼外楼」へ行かなくちゃ。老酒に漬けて酔っぱらったカニを前菜にして、フカのひれの姿煮とエビのお団子と――。”
「楼外楼」 は赤坂にあった「樓外樓飯店」のことではないかと。
「樓外樓飯店」は一時閉店ののち2011年に移転して再開。その後ビル老朽化のため2018年に再び休業。移転先を見つけ次第再開予定だとか。
→(コラム)東京 羽田空港から赤坂へ、手塚先生推薦の本格中国料理に舌鼓!!【手塚治虫オフィシャルサイト】
渋谷「弥助」-閉店
”渋谷の「弥助」もいいなあ。フグのうす作りに越前がに。フグ雑炊でシメようか。”
渋谷の道玄坂に「弥助」という名のお店があったそうだが、エッセイに書かれているのと同じ店なのかどうか確証がつかめずにいる。
しかも道玄坂の「弥助」はすでに閉店してしまった模様。
「藪そば」の穴子南蛮と練り味噌【神田】
”おひるは何といっても神田の「藪そば」がいい。穴子南ばんにせいろを一枚追加して、おみやげに練り味噌をおねだりしよう。”
一時火災で休業していたが、2014年10月、ついに営業再開。現在も行列ができるほどの人気店だ。
練り味噌はお酒の付きだしとして出されている。
六本木「山路」→新橋「割烹 山路」?
”おすしもいい。材木町NETテレビ横の「山路」”
…。このお店の情報は若干自信がない。
“材木町NETテレビ横”というヒントから調べると、「NETテレビ」とは今でいう「テレビ朝日」のことらしく、その敷地は現在六本木ヒルズになっている。
そして六本木ヒルズの横には40年以上続く「山路」という寿司店があったようだ。
しかし六本木ヒルズ横の「山路」は2012年に閉店。その後、六本木「山路」で修業をした職人が麻布十番で「山路」をオープンしたが現在は閉店。
ただ、麻布「山路」の息子さんが、現在新橋で「割烹 山路」を営んでいるらしい。
→東京グルメバトン VOL.29 割烹 山路 | 新橋【AFFULUENT】
青山「司ずし」-閉店
前述の六本木「山路」に次いで挙げられたのが青山の「司ずし」。
この記事を書くにあたって参考にしている『クロワッサン特別編集 向田邦子を旅する』には、向田邦子が好きだった店として「寿司処 つかさ」が紹介されている。
「寿司処 つかさ」の住所は青山なので、エッセイに登場する”青山の「司ずし」”のことではないかと思う。
「寿司処 つかさ」はすでに閉店しているが、その後、ふぐ料理の店があったようだ。しかし現在どうなっているのかまでは調べきれなかった。
代官山「ラ・アリタリア」-閉店
”本命を忘れていたことに気が付いた。
「ラ・アリタリア」である。”
ムール貝のジェノバ風、魚のスープ、オーソ・ブッコ、牛肉のマルサラ・ソース、たこのなんとか風、ヨーグルトのスフレ、自家製の果物のパイやプディング、コーヒー・エスプレッソ。
オードブルからデザートまでよだれが出る勢いでメニューを書き出し、退院第一日目のお店は「ラ・アリタリア」になったと書いている。
しかし、調べた結果、このお店は閉店してしまったようだ。1970年代当時本格派イタリアンレストランの先駆けとしてかなりの人気を博したようだ。
閉店とわかっていても諦めがつかず、探しに探した結果「ラ・アリタリヤ」の元チーフが料理しているというお店が栃木県にあった。
店の名は「クチーナ・カーサ」。
九段上「ラ・コロンバ」-閉店
代官山「ラ・アリタリア」のご主人が支店を出したとエッセイに登場する「ラ・コロンバ」。
エッセイのタイトル『イタリアの鳩』も、「ラ・コロンバ」から発展している。
しかし九段上の「ラ・コロンバ」は閉店してしまったようだ。 その後、世田谷や西麻布に再現されたようだが、現在はどちらも閉店している。
「ラ・コロンバ」 も相当な人気店だったようで、思い出深い店として多くのブログに載っていた。
「ラ・コロンバ」の衝立が残る「マダム・トキ」
いろいろ調べているうちに、「ラ・コロンバ」のガラスの衝立を見つけたという記事があった。
向田邦子が書いていた、”ポパイの漫画に出てくるオリーブ・オイルを美人にしたような奥さん”。つまり、「ラ・アリタリア」の奥さんがオープンした「マダム・トキ」というレストランにそれが残っているらしい。
向田邦子のエッセイにある「鳩」のレリーフは見えなかったけれど、多くの人に愛された名店だったことが想像できる。
ちなみに「マダム・トキ」は超有名で大人気のレストランだという。
さて、淡々とデータをリンクするだけのつもりでいたのに、時の流れと飲食店の歩みのおもしろさに、ついつい力が入ってしまった。
いろいろな人の想いや時代背景が垣間見えたような気がして、とても楽しい調べものになった。
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