『トットてれび』と向田邦子と中華料理店

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NHK土曜ドラマ『トットてれび』。このドラマには向田邦子が登場する。

土曜ドラマ トットてれび【NHK放送史】

ストーリーの主役は黒柳徹子なので向田邦子はスポットでしか登場しないが、ドラマの中の向田邦子はいつも中華料理店で原稿を書いている。中華料理店の店主の胸には「新橋飯店」と書かれていた。

私はこのシーンを見るたびに、いつも「ん?」と思った。

向田邦子が森繁久彌のラジオ台本を書くようになる前、雄鶏社と掛け持ちで”内職”していた場所は喫茶「ブリッジ」ではなかっただろうか。

向田邦子のエッセイにはこんな一節がある。

有楽町に「ブリッジ」という有料喫茶室があった。
十五年ばかり前、私はこの店の常連だった。昼は出版社につとめ、夕方からは週刊誌のルポ・ライター、そのあい間にラジオの原稿を書くという気ぜわしい暮らしをしていたので、一時間確か五十円払えば半日いても嫌な顔をされないこの店は持ってこいの仕事場であった。ここのテレビの下が私の指定席だった。

【『ねずみ花火』(「父の詫び状」向田邦子/文春文庫)より引用】

それから、雄鶏社時代の同僚上野たまこ氏が向田邦子について書いた本にはこう書かれている。

邦子さんは、有楽町のショッピングセンターの地下にできた<ブリッジ>という、新システムの喫茶室で、『映画ストーリー』以外の内職原稿を書いていたのである。

【『邦子語録』(「雑誌記者 向田邦子」上野たまこ/扶桑社)より引用】

「ブリッジ」という喫茶店は現在時間制ではなくなったものの、西銀座デパートの地下で営業している。

カフェ ブリッジの詳細【西銀座デパート】

ブリッジの店内写真など【食べログ】

しかしやはり中華料理店で原稿を書いていたという話は見当たらない。

そうなると余計に「新橋飯店」とは何なのかを知りたくなって、手当たり次第に資料を調べた。

必死に調べてわかったことは、向田邦子の家に黒柳徹子を最初につれて行ったのは、女優の加藤治子だったこと。黒柳徹子は向田邦子の家でインスタントラーメンをおいしく食べる方法を教わったこと。物書きの友人と三人で新橋の中華料理店で議論し合ったことなど、ニアミスな情報はありながらも「新橋飯店」の謎は解けなかった。

向田邦子は喫茶室で内職をしていた

※写真はイメージです

数日間を費やして調べているうちに、ふと我に返った。自分はいったい何に執着しているのだろう。もしかしたら心のどこかで嫉妬しているのかもしれない。と思った。

そう考えると確かに、『トットてれび』に登場する向田邦子を素直に見ていない自分がいた。

髪型も服装も赤い口紅も本や雑誌でみた向田邦子そのものだけど、動きが気に入らない。あんなに上からの物言いはしなかったはずだ。男たちと肩を並べて仕事をしていたとはいえ、あんな男性的な所作はしなかったはずだ。彼女は最後まで凛とした女性として生きていたはずだ。などと、心の中であーだこーだとケチをつけながらムキになっている自分がいた。

たいして知りもしないくせに、自分の方が向田邦子を知っていると言いたかったのかもしれない。自分のイメージと違う向田邦子を表現されたことで、先を越されたと感じたのかもしれない。天下のNHKを相手に…バカだな。

そう。そもそもこのドラマはフィクション。しかも、黒柳徹子をモデルにしたドラマだ。そう自分に言い聞かせて、もう深追いするのはやめることにした。

「新橋飯店」の謎解きはできなかったが、今回の調べものは自分を見つめ直すいい機会になった。

中学生の頃に読み漁った向田邦子のエッセイ。その時には意識していなかったが、当時の私は、向田邦子をあこがれの大人として見ていた。エッセイや特集雑誌から垣間見える向田邦子の姿を、大人になったらこんな生き方をしたいと心のどこかで思っていた。

もうとっくにいい大人になった自分は、向田邦子みたいになれているだろうか。そう思ったら、面倒臭い仕事も(まとめて)一気に片づけられるような気がした。

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