大して期待もしないで、ぐっと飲んだら、これがおいしいのである。
やわらかいビール。丸みのあるビール。麦の匂い立つビールなのだ。
〔中略〕
日本のビールのようにキリッとはしていない。濁っているのではないかと思うほどの濃い色をしている。ヤボったい香りと味がビールのドブロクという感じで何ともいい。
〔中略〕
ファロ(FARO)という銘柄なのだが、何と印刷したラベルもないのである 。【『ベルギーぼんやり旅行』向田邦子(夜中の薔薇/講談社)より引用】
向田邦子のエッセイ『ベルギーぼんやり旅行』の中で、ビール工場を訪れたときのエピソード。
こんな文章を読んでしまったら、向田邦子が試飲した「ファロ」というビールを飲んでみたくて仕方がなくなった。
しかしこのエッセイは1981年の週刊誌に掲載されたもの。40年以上過ぎた今、「ファロ」を造っているビール工場はどうなっているのか。そもそもどこのブルワリーなのか。
それを突き止めたくて、まったく無知の領域だったベルギービールについていちから調べることにした。
「ファロ」というスタイルのビール
「ファロ」という名前はどうやら、商品名ではなく製造過程によって仕上がりが異なる、ビールの”スタイル”を指しているらしい。

ビールがある昼下がり(イメージ画像/ドイツにて)
まず「ファロ」は、大きく分類して「ランビック・ビール」というカテゴリーに入る。
「ランビック・ビール」とは空気中の野生酵母や微生物を利用した自然発酵によって造られるビールのこと。
そして「ランビック・ビール」の中でも最後の処理によってビールの仕上がりに違いが生まれ、「ファロ」の他に「グーズ」や「フルーツ」などというスタイルのビールが完成するという。
そこに醸造所の名前がついて、○○醸造所で造られた「○○・ファロ」と呼ばれるビールが誕生する。
ちなみに「ランビック・ビール」は独特の酸味や香りがするらしく、日本人向きではないと書く人もいた。
向田邦子が訪れたビール工場はどこなのか
ベルギービールのファロというスタイルをぼんやり理解したところで、向田邦子のエッセイにちりばめられた、ビール工場に関するヒントを書き出してみる。
・ブリュッセルの街の真ん中なのである。
・働いているのは、五、六人の冴えないオッサン
・気が向けば一生懸命にやるが、気が向かないとくわえ煙草でサボっている。
・専用のビンもないらしく、ヨーロッパのほかの国から古ビンを買ってきて、傷がないかひとつひとつのぞいては調べて使っている。
・ろくに看板も出ていない赤煉瓦の倉庫である。
これらのヒントをもとに調べていたら、おもしろい情報を見つけた。
・ランビック・ビール
培養された酵母を使わず、空気中の野生酵母や微生物を利用して自然発酵させた、伝統的ベルギービール。造られる地域は限られており、ブリュッセルとその近郊の一部のみ。
【『ベルギービール大全〈新〉』三輪一記、石黒謙吾著/株式会社アスペクトp.172より抜粋】
ブリュッセル市では、カンティヨン醸造所が、辛口で酸っぱい昔ながらの味のランビックを、そのミュージアム醸造所で飲ませています。
【『マイケル・ジャクソンの地ビールの世界多彩な味わい、ベルギービール』マイケル・ジャクソン著/柴田書店p.86より抜粋】
情報を整理すると、「ファロ」を含むランビック・ビールはブリュッセルとその周辺一部の地域でしか造られておらず、ブリュッセル市では「カンティヨン醸造所」がそれを造っていることがわかる。
そして、
伝統的なランビックの生産地では、カンティヨン、ボーン、リンデマンス、ヴァンデル・リンデンなどの醸造所が素晴らしいファロをつくっています。
【『マイケル・ジャクソンの地ビールの世界多彩な味わい、ベルギービール』マイケル・ジャクソン著/柴田書店p.122】
カンティヨン醸造所では「ファロ」も造っていることがわかった。
最有力候補は「カンティヨン醸造所」?!
さらにカンティヨン醸造所について調べていると、カンティヨン醸造所を見学したことのある東條直子さんという方のこんなエッセイを見つけた。
1999年の夏休みに初めてここを訪ねたときなんて、日本語のパンフレットをひら〜っと渡されて、番号順にまわってきてね、みたいな感じだったし。見学から戻ってきてお土産を買おうとしたら、さっき瓶を洗浄していたはずのお兄さんが売店担当だし(しかも、ほとんどニ、三本しか作業した形跡がない!)
【『ベルギービール醸造所巡り』東條直子著/新風舎より抜粋】
醸造所に流れるゆるい雰囲気、ビンを洗浄して使っていることなど、向田邦子が残したヒントとほぼ一致しているように見える。
ただ、現在のカンティヨン醸造所は赤煉瓦ではない。
でも併設されているレストランの内装は赤煉瓦だし、外観ももしかしたら白いペンキを塗っただけかもしれないし……
いろいろ想像を膨らませた結果、向田邦子が「ファロ」試飲したのはカンティヨン醸造所が最有力候補というところに着地した。
カンティヨン・ファロは日本で飲めるのか
ところで、仮に向田邦子が訪れたビール工場がカンティヨン醸造所だったとして、カンティヨン・ファロを日本で飲むことはできるのだろうか。
調べたところ、カンティヨン醸造所のビールでお取り寄せできるものは「カンティヨン・グーズ」や「カンティヨン・クリーク」がほとんどで、ファロは見つけられなかった。
提供しているビアバーなども探したが見当たらず。
そういえば何かの本で、ファロは生ものみたいなものだから完成後長い時間その状態を保つことが難しい。というような話を読んだ気がしないでもない。
少し残念な気持ち半分、日本で飲めないのならベルギーに行けばいいじゃない。などと薄っぺらなことを考えた。
日本で買えるファロを飲んでみた
カンティヨン醸造所のファロを日本で飲むのは難しいとして、リンデマンス社のファロなら日本で買えると知り、早速手に入れた。
リンデマンス・ファロと、もう一種、リンデマンス・グーズ。

リンデマンス・グーズ(左)とリンデマンス・ファロ(右)
まずはグーズから。
グーズとは、木樽の中で数か月熟成させたランビックと自然発酵を終えたばかりの若いランビックを瓶に詰めて二次発酵させたもの。(参考:『知って広がるビールの世界』一般社団法人日本ビール文化研究所著p.161)
酸っぱいとまではいかないが複雑な旨味がある酸味。さっぱりした喉越し。うまい!からのさっぱりした後味のビール。
そしていよいよファロ。
注いですぐの一口目は、甘っ!!なんじゃこりゃ!しかししばらくすると、カラメルのような深い甘味とほんのり苦味を感じるコク。うまい!2軒めのバーで干しぶどうなんかと味わうと良い時間がすごせそう。
ちなみにファロとは、若いランビックに甘みを足して飲みやすくしたもの。だそう。(参考:『知って広がるビールの世界』一般社団法人日本ビール文化研究所著p.161)
さて、今回、向田邦子の旅行記をきっかけにベルギービールに興味を持ち、調べるうちにビールの世界の奥深さを垣間見ることができた。好きな人や好きなことがきっかけで、まったく興味のなかった世界に出会うことがある。
せっかくだから、もう少しビールについて勉強してみようかな。そしていつか、カンティヨン醸造所で麦の匂い立つビールを味わえる日が……くればいいなぁ。


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