私は、今のところ、「菊家」のが気に入っています。青山の紀ノ国屋から六本木の方へ歩いて三分ほど。右手の柳の木のある前の、小づくりな家です。
【向田邦子「水羊羹」(眠る盃/講談社)より引用】
向田邦子がとにかくお気に入りだった「菊家」の水羊羹。
エッセイ集『眠る杯』の『水羊羹』では、水羊羹評論家として、それを食べるにあたっての心得を事細かに記している。
いつかは食べてみたい。と思いながらもなかなか機会に恵まれず…。いや、機会に恵まれないのではなく、少し敷居が高いような気がして、しりごみしている。
菊家の下見
年末の頃、東京旅行ついでに菊家を見に行った。
「菊家」は、エッセイ『水羊羹』にあるとおり、柳の木のすぐそばにあった。
菊家の水羊羹は”新茶の出る頃から店にならび、うちわを仕舞う頃にはひっそりと姿を消す”というので、お店には入らず素通りしたが、向田邦子が見た同じ景色を見たようでとても嬉しくなった。
彼女は紀ノ国屋からここまでの道を”前につんのめるように”3分で歩いていたのだ。
水羊羹に合わせる器
せっかくの菊家は素通りしたくせに、いつの日かのためにと、水羊羹を食べるにあたっての心得を頭に入れておく。
まず、水羊羹のお供には香り高い新茶を入れる。器は、”白磁のそばちょくに、京根来の茶卓”。
読んでもピンと来なかったので調べると、どうやら白磁とは純白の磁器のことらしい。
そして京根来とは黒漆の上から赤漆を塗って磨き上げ、ところどころ黒が見える漆器のこと。
そこに新茶の鮮やかな緑が注がれるわけだから、なんと美しい演出だったのかとため息が出る。
そして主役の水羊羹は、素朴な薩摩硝子の皿か小山岑一さん作の和蘭陀手の取皿に。
薩摩硝子というのは薩摩切子のことだろう。ただ、どんな色の皿だったのかまでは調べきれなかった。
小山岑一さんの取皿は、以前何かの本で写真を見たことがあったはずなのに、書籍のタイトルを忘れてしまった。
色合いは”少しピンクを帯びた肌色に縁だけ甘い水色”。
ムード・ミュージックも忘れずに
さて、それから水羊羹に合わせるムード・ミュージックは、ミリー・ヴァーノンの「スプリング・イズ・ヒア」。
→Milli Vernon/Spring is Here【YouTube】
もしくはベロフの弾くドビュッシーのエスタンプ「版画」。
→Michel Béroff/Debussy:Estampes【YouTube】
さぁ。これで準備は整った。あとは背筋を伸ばして菊家に向かうだけである。
向田邦子のマンションと隣の神様
ところで、菊家を素通りしたついでに、そこから歩いて5分ほどのところにある「南青山第一マンションズ」を見てきた。ここは向田邦子が暮していたマンション。
マンションの隣には小さな神社があった。
『父の詫び状』にある『隣の神様』とはここのことだろう。
この鳥居にもたれかかって靴下を履き替えている初老の男性を想像しながら、神さまには、ありがとうございます。また来ます。とご挨拶だけして帰ってきた。
よし。次の夏こそ水羊羹を買いに行こう。そう思いながら、すでに7年が過ぎようとしている。
※この記事は、過去に運営していたブログ「向田邦子「う」」より移行させました。管理人及び筆者は同一人物です。
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